何かを選ぶのは難しい。年々、難易度が上がっている気がする。
その原因は、もちろん情報の増大。
例えばカメラを買うとする。昔は、カタログやら店員さんやら雑誌やら、限られた情報源から選ぶほかなかった。
しかし今は……、個人のレビューがある。SNSもある。比較サイトがある。そのカメラで撮った写真を何万枚も見ることができる。みなさんがいろいろなことをいろいろなところで言う。メーカー側の情報発信も進んでいる。デジカメの詳細なスペックやらなにやらを実験してデータ化しているサイトもある。……難しい。
もちろんそれが良いこともあるし、一方で、むしろ悩みの原因になることもある。
「選択肢が多すぎるとかえって購買意欲が下がる」と明らかにしたのは、有名なシーナ・アイエンガー。選択肢だけでなく、情報も同じようなメカニズムがあるのではないだろうか。
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そもそも、選択や意志決定を行うとき、ヒトはどうするか。
大きく分類してみれば、
・理性による
・直観による
……と二分できそうだ。
普通、理性による判断、という道がある。例えば購入する本を選ぶ時、何かの受賞作なら読む価値がある可能性が高いだろう、とか。このテーマを学ぶなら、この本を読んでおかないといけない。いろいろわかっていないから、手堅く、岩波の入門書から……等々。
その選択のメリットとデメリットを書き出して比較するというのは有名な手法。あるいは「意思決定の科学」みたいな分野もある。軍事研究、戦略みたいな分野も、おもしろいかもしれない。
もちろん、自分にとって「安いもの」を選ぶのなら、そんなに大げさにかんがえなくてもいい。そういう場合には、自分の直観を信じる、という道も使えそうだ。「コレだ」、と感じるものを優先する。行ってみれば、エモい道。なんとなく「これかな」でもいい。グッドバイブス優先。「えいや」の道でもある。
普通、ヒトはこの二種類の選択をミックスして行っているように思う。有名な、システム1とシステム2の話かもしれない。
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個人的に気になっているのは、近頃はどうも、自分は理性が勝ちすぎているのではないか、ということ。
もちろん「えいや」は失敗することも多い。だから理性を働かせる必要がある。比較サイトはすごい。みなさんの意見をお聞きして、アレコレ考えたい。もちろん、使えるリソース、つまりお金や時間は限られている。良いものを選びたい。後悔したくない。
だからアレコレアレコレ検討するのだが、前述のシーナ・アイエンガーの指摘の通り、結局のところ買えなかったりする。迷って、面倒になって、放り投げたり。
納得しきって買ったとしても、気分がアガらないというか、ちょっとつまんないな、と思ったりすることもある。カメラで言えば、「思ってたのとちょっと違った」というのは、いくら検討してもある。あるいは、買った後になって、自分が本当に欲しかったものに気付くこともある。
コスパ、タイパというような言葉を聞くことが増えたけど、それも理性寄りの判断の結果、だろうと思う。限られた時間とお金をできるだけ有効に使うための、冷静な判断。
それが行き過ぎるとどうなるかと言うと、まあ、楽しくない。
理性だけではつまらない。もうちょっと、エモさ優先というか、直観とか気持ちとか、「楽しそう!」という気分とか、そういうものを優先させないと、枯れてしまうのでは。……などと思ったりする。
もちろん、こういうのは性格次第だったり、その時の文脈次第だったりする。いつも、考えてその結果つまらない、というわけではない。しかし、情報がある分だけ、冷静な判断をする圧力が働く。だから、あえて直観を生かす。そういうのもおもしろいかもしれない、と思っている。改めて、えいやを学ばなくてはならない。
楽しさ、なんていうふんわりムードとは無縁な仕事でも、しかし、自分がしっくりくるやりかたじゃないと結局はうまくできない。実行できない。もっともこれは、「えいや」というよりも「本性と選択のマッチング」という話かもしれない。