仕事を構成する要素として、「アイデア」というのがある。発想というか。
起業のネタを思いつくのもアイデアだし、今この目の前にあるメールにどんな返信をするかもアイデア。だから「クリエイティブ」という名詞で呼ばれる職種じゃなくても、また事務的な作業をしていても、アイデアが仕事の核心にあるようにも思える。
とは言えやはり、アイデアを出す時には、「普通じゃない」ことが求められる。ぱっと思いつくもので事足りるならば、問題にならない。普通ではないことは、もちろん難易度が上がる。
しかし、難しいけれども、方法がないわけではない。いろいろ方法論がある。助けてくれる。そういう書物も多い。
アイデアを選ぶこと
しかし実のところ、本当に難しいのは、そのアイデアの取捨選択だろう。
あかん😞 、なケース↓
- ついつい無難なものを選んで、ちょぼちょぼの成果で終わってしまう。
- やりやすいところから手を付けて、核心の周りをぐるぐるしているだけ。
- そのアイデアの実現がタイヘン過ぎるので、無意識に避けてしまう。
- それまでと同じ価値観で選択して、問題の核心を解決できない。
- 変革を生みそうなアイデアだとしても、ネガティブ要素が見えてハナから捨ててしまう。
- そもそも、これまでの価値観や判断基準に沿ったアイデアしか出さない、というのもありうるけれども。
言い換えれば、自分の(あるいは組織の)枠を超えられない、ということになる。これが、アイデアの選択という課題の深層に横たわっている。
「良さそうだ」と思いやすいものは、馴染みがあるものだ。「できる」と言うのも同じ。馴染みがあるということは、自分の枠の中にあるもの。それで成果が出るならば良い。しかし、もしそうでないならば?
固着・固定観念・暗黙の前提・価値観……を退ける
枠の中にあるものは、もしかしたら凝り固まった価値観かもしれない。固着しているかもしれない。解決して本当にインパクトがある問題、つまり長らく解決できねいでいる問題は、そうした固着が原因になっていたりする。暗黙の前提が邪魔をしている、とも言える。
例えばインターネットの歴史は、そうした固まった価値観を壊してきた歴史だと言えそうだ。自分もずっと見てきたので、本当にそう思う。
その昔の感覚では、試着もせずに靴や服を買うなんて、ちょっと考えられなかった。スマートフォンで見開きのマンガを読むとか、クルマを買うとか、YouTubeが憧れの職業を生み出すとか……、いろいろ。「それはないんじゃない」ということがふつうになっていった。
インターネッツは新技術がベースにあるが、そんなことがなくても、暗黙の前提は打ち破られる。先日メガネを新調した話を書いたけれども、これなんかはまさにそう。「メガネは視力がちゃんと出るものを作る」という思い込みが覆されたら、いろいろGoodな生活があったという話。この場合は、単に自分が無知だっただけで、かつ卑近な例で恐縮だけど、でもきっと、みなさん「なんで今までこうしなかったのだろう」という経験はおありだろう。
だから、威力偵察するしかない。単純に、いろいろ試していく。そんなふうに思っている。
もちろん、思いついたアイデアをテストしていくのには、時間も金もかかる。望ましくないことが起きることもあるだろう。だから、テストのための対策が必要になる。できるだけ手軽に試すとか、失敗をケアしておくとか、そういうこと。
言い換えれば、アイデアとは、行動する技術である。そんな風にも言える。失敗を無意味にする技術、と言った方がよいか。もっとも、これは少しニブい自分だからかもしれない。頭の良い人は、うまくいいアイデアをより分けられるのかもしれない。
別の課題もある
あるいは、起業ネタだとしてもメールの返信だとしても、「おのずとそうなる」こともある。アイデアを捻るというよりは、自然と対策が導き出される場合。
個人的に、コンサルティング的な仕事をする時によくありがち。顧客のことを知って、いろいろ調べて、素材を挙げてみると、「だったらこうすりゃいいじゃん」というのが自然に浮かんでくる。だいたいそれは「正しい」というか、合理的・論理的な帰結だったりもして、受け入れられやすい。これはこれでアリ。
しかし、これが危険、とも思っている。
合理的な結論とは、ある意味、誰が考えてもそうなる、ということでもある。それは、つまらない考えだと言えるかもしれない。モノゴトを整理するのがコンサルの仕事だ、と言った人がいたが、確かにそうだろうけれども、それだけでは済まない問題もある。
だからそこで踏みとどまって、別の可能性を探る。いつもそうしている。それに、自分はコンサルというよりはクリエイション側の人間。求められているのは合理性だけではないだろう。とも思う。